故 杉田義久 先輩の思い出

和光か

故 杉田義久 先輩の思い出
過日、杉田先輩がお亡くなりになられ私の杉田先輩の思い出をしたためました。
杉田先輩は60年前の昭和36年に愛大工学部の機械工学課に入学され愛大ヨット部でスナイプに乗っておられました。
私は2年後の昭和38年に入学し持田地区の大学構内で各クラブが新人呼び込みをしていた際にヨット部がスナイプにセールを張った状態で展示しているのを見て迷うことなく入部しました。
それから間もなくの5月に瀬戸内海横断レースが開催され梅津寺冲から呉までのレースに私はヨットのイロハも知らない状況でしたが参加する事になりました。
その艇には杉田先輩と1年後輩の森本先輩と私の3名でしたがスナイプに乗り杉田先輩がスキッパー、森本先輩がクルーで私は長距離レースのため単なる重しとして乗る事になりました。
当日は朝から強い風でランニング時にはウォーターブレークが水中に飲み込まれるような状態となり3人がスターンに並んでバウを何とか水面上に持ち上げるのがやっとでした。
私は何しろヨットをほとんど知らない状況でしたので帆走中に杉田先輩から「このワイヤーの名前は? このシートの名前は?」と手取り足取りの教育を受けながらのレースでしたが丁寧に教えてもらった事を覚えています。
風が落ちないため途中でレースが中止になり帆走していた海域から中島の浜辺に逃げ込みましたが、そこが杉田先輩の出身地だと知りました。
私は命からがら陸地に逃げ込めたとほっとしましたが2人の先輩、特に杉田先輩は余裕があり常時「にこにこ」されており大物だなと感心したことを今でもはっきり覚えています。
その後、杉田先輩には梅津寺の合宿所で時々お会いしたり、松山の下宿先を訪ねたりしましたが、私は杉田先輩の事は入部直後の横断レースが一番の思い出です。
杉田先輩は卒業後、戦艦大和を建造した呉造船に就職され会社は後にIHIと合併しましたが、定年退社後は造船関係のコンサルタントをされ、何度か中国にも出かけられていたとお聞きし、結果として生涯、船に関係されヨット部
出身者として幸せな人生を過ごされたと思っております。
杉田先輩のご冥福をお祈り申し上げ、生前に受けた御恩にお礼を申し上げます。
令和3年8月 10 期 石井永二

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